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"Title : 弁護士は「正義」の実現を使命に掲げながらも、結局、カネで動く用心棒だといった、批判的な響きをもっていわれるものです。
"Cats : 社会・世相・時代の参考情報,弁護士
"Tags : 弁護士,司法制度改革
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「弁護士は金持ちの味方」という言い方をよく聞きます。大方「金持ち」の側が、そう言っているのではなく、弁護士は「正義」の実現を使命に掲げながらも、結局、カネで動く用心棒だといった、批判的な響きをもっていわれるものです。
「味方」という表現には異論もあるかもしれませんが、弁護士は特定な階層の弁護だけを引き受けるわけではありませんから(「弁護士の『本質的性格』と現実」)、当然に「金持ち」の弁護もしますし、そのこと自体を否定できるわけもありません。拝金主義的傾向をいうものかもしれませんが、「ほとんどの弁護士が金持ちの味方」と言いたいのであれば、それは相当に個人的な経験をもとにした拡大解釈といわなければなりません。
ただ、もし、そうした弁護士がこの社会で多いことも、今後、増えることも望ましくない、という考えに立って、前記言い方を批判的に使うのであれば、その人は、少なくとも弁護士に向けているのと同じ程度の批判の矛先を、この「改革」に向けてもいいのではないか、と思えてならないのです。なぜならば、端的に言って、この「改革」は「金持ちの味方の弁護士」を増やすことはあっても、減らすことはないといえるからです。
有り体にいえば、採算性の低い需要に、これまで弁護士が取り組めてこられたのには、あくまで一定の採算性がとれる需要からの収益が担保されていたからです。担保されているうえで、採算性の低い需要に手を出すか出さないかは、それこそ個人の意識によるのでバラツキはあったとしても、可能な環境があった。それがなくなればどういうことになるのかは、もはや明らかといわなければなりません。
引用:元「法律新聞」編集長の弁護士観察日記 「改革」が本当に残そうとしている弁護士
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